第3章 消費者の目、経営者の目、お好み焼き
2.お好み焼き新時代の招来
企業ベースにのせた和風FFSの役割
お好み焼き店では、男と女の別れ話は成立しないといわれる。千房の中井社長の言葉をかりれば、「連帯感があるから」がその理由である。どのテーブルを見ても同じ形のものが焼け、同じソースをかけて食べる。お好み焼きを通じて店と客の連帯感が生まれ、別れ話どころではないというのだ。カップルが親密度を増すために、テーブルに向かいあってひとつの鉄板で同じものを食べるのは大きな効果があった。だからこそ自分達で焼く必要があったのである。そして、このカップルと女性、子供の軽食が十数年前まで主要な消費者であった。また、テキ屋商品としてのよくないイメージもつきまとっていたのである。
企業ベースとしてお好み焼きを積極的に扱ったのが、SC内に出店する和風FFSの企業であった。買い物ついでのいわゆる「つり銭商法」がメインであったが、客単価アップをはかってセットメニューを開発したり、パッケージや店舗のイメージアップをはかり、デザインを一新しながら、客のニーズに対応して成長していった。そして、つり銭商法としての限界、SC内立地のあきたらなさから、インストア店が独立タイプへと方向転換を始めた。
こう述べると、和風FFSがお好み焼きブームを作ったかのようにとられがちだが、それ以前の`70年前後、実は小さな波がたったのである。当時、高度成長期で資金を充分に蓄えた大企業が、一斉に飲食業に資本を流した。その結果出現したのが、ファミリーレストランである。さらに、アメリカを中心に外国からも資金が流れ、外食産業ブームが起きたのである。大企業の動きに便乗して、個人のお好み焼き店も急速に増えていった。
脱サラ、主婦のサイドビジネスして、お好み焼き店はうってつけだったのだ。個人の店もそれなりに伸びた理由はさまざまある。第1に前述したように、少数材料多品目メニューの有利性を持っている上に、素材コストも安定している。コストコントロールがたやすく、素人にも経営しやすいこと。第2にお好み焼きを焼くという技術に名人芸を要求されないこと。だからこそセルフスタイルの店が残っていけるのである。第3に営業時間帯を選ばないメリットがあること。食事としてのお好み焼き、おやつとして、酒のさかなとして・・・といったように、空腹でなくとも見かけたら店に入ることが可能である点。そして、食産業の哲学ともいうべき「大衆に愛される親しみ深い料理は、どの時代でも生き残る」、まさにその料理のひとつがお好み焼きだからである。
とはいえ、外食産業ブームも`85年前後を境にしたオイルショックの影響で量から質の時代を迎える。お好み焼き店も激しい競争の中で、質の向上を迫られるに至る。質の時代の中で台頭するのが、あらゆる面から客のニーズに応えるような経営コンセプトを掲げてお好み焼きと取り組んできた企業である。